2013年9月12日木曜日

飛ばされぬよう


目紛るしい毎日の心の変化 が著しいこの頃。


秋はだいたいそんなもんです。

夏はあっという間で、
そんなもん すら考える暇なく過ぎてく。

騒がしい日常が一段落して、夜の冷え込みではっとする。
甘い言葉も、ふいに与えられた優しさも、少し冷静に捉えてしまう。

自分のこと、身の回りのこと、にしっかり目が行き、はっと気付く。
それが秋の始まりやと思うのです。


読書する、音をちゃんと聴く、人の言葉に耳を傾ける
自分の弱い部分や足りてない部分にしっかりと目を向ける

その行動で秋の始まりを実感するんやと思うのです。




9月に入って二週間弱、そんな最近です。


ふとした拍子に、

「あ、あの時のアレはそういうことやったんか。」
「あぁ、あの時あの人が言いたかったのはそういうことやったんか。」

そんなことを思うのも、秋のせいで、秋のおかげやと思うのです。

全部、自分に言い聞かせとるのです。



自分の未熟さ とか 自分の甘さ とか
そんなのは薄々気付きながらも気付かんことにして
ずっと過ごしてきて

ふと立ち止まって考える瞬間があってもすぐに忘れて
思考は 楽な方へ 楽しい方へ流れて

そうやって生きてきたのが自分でよく分かるのです。


24歳という今 を一つの節目に感じるのです。



そんな時に少し前、21歳の夏に撮った自分の写真を見る機会があって。
自分の写真で自分の変化にはっとさせられた。


たった3年前の自分やのに、すごく純粋に感じる目線。

今でも変わってない目線は持っとるつもりやけど、それを写そうとする行動。
それが、純粋に感じる。

写真を仕事として撮ることが増えたこの頃。
写真に対する考え方や見方もそりゃ変わる。


けど、それは決して悪いことじゃない。
変化がなかったら進化もない。

ただ、いつまでも、描く「在りたい自分」だけは変わらずに居よう。

そう思うのです。





ふぅ、すっきり。




津の山にて
2010.7.24


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